力道山に対する、4人の証言

TBSラジオ爆笑問題の日曜サンデー」の、さまざまな角度からの証言を元に
その人物や物がどういうものかを掘り下げる人気コーナー「27人の証言」。
今回取り上げた人物は力道山でした。
早々に爆笑問題・太田さんが『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』の
話をしていました。そうか、太田さんも読んでたんだー。

証言者1人目は、張本勲さん。
・張本さんの後援会長が力道山と非常に親しく、その方から紹介してもらった。
・同じスポーツ界、半島の同民族だということで弟のように可愛がってもらった。
・酒は強くはなかった。でも非常に負けず嫌いだったから、相手より多く飲んで
 しまい、そうなると歯止めが効かなかった。その場にあったテーブル、
 カウンター、グラス、すべて壊した。
・女性には優しく、人気があった。
・(対木村政彦戦について)
 本当は引き分け(とする予定)だったそうですよ。
 それが木村さんの足が内掛けの時ちょっと力道山の急所に当たったそうですよ。
 そうするとあの気性ですから「話が違うじゃないか!」と本気になって、
 その結果、木村さんが惨敗でしたからね。
 「本当は自分は(木村政彦を)殺そうと思ったんだ」というのを聞いてびっくり
 しましたですね。いや、スポーツなんですが、「いや、そんなことない、
 戦いは生か死かなんだ」ということを聞いたときはぞっとしましたよ。

証言者2人目は、クラブリキの専属歌手だった、森サカエさん。
・「ドライブ連れてってやる」とベンツのスポーツカー(300SL?)で横浜まで
 ものすごいスピードで、あれは怖かった。
・パーティーの時だったか、レスラーの(ジェス・)オルテガさんにオナラを
 させてライターで火をつける、なんてことをやるおちゃめな一面も。
・ゴキブリが嫌い。クラブでゴキブリが出ると、椅子の上に飛び上がってた。

証言者3人目は、アントニオ猪木さん。
・一言でいえば「怖い」。戦後のヒーローはいっぱいいるがその比じゃない
 というぐらい大きかった。
・すべてが非常識、でもそれがまかり通った。
 例えば五反田の“開かずの踏切”で並んでるのに後ろから追い抜いて、警察が
 笛を吹いて制しようとするところ「馬鹿野郎!」一喝し走り去った、とか。
・(当時は)期待されているかもわからない、何かあったら殴られるだけ。
 旅館の玄関先で靴を履かせている時、ふとよろけて靴の端を踏んづけたら
 靴べらで殴られたり。ファンが見ている前で、あれはちょっときつかった。
ゴルフクラブの先で殴られて、1週間ぐらい熱が出た。
・ふと居眠りしたら、葉巻の火を押し付けられた。
・前田親方(元横綱前田山、高砂親方)が「リキさん、こいつはいい顔してるね」
 と言ったのに対し、師匠が「そうだろう」と。うなずくようにね。
 たったその一言がなかったら、恨みっぱなしで終わったかも。
 その場面が(あったから)救われた。
・とにかく「強くなれ!」ということが絶対だった。
 空手チョップで一世を風靡したがそこにはいろんなこと、人種の問題、
 北朝鮮出身ということをヒーローになっていて名乗れなくなっていったとか、
 名前が上がったのに故郷に帰れないとか、そんなものが全部、空手チョップに
 凝縮されたのかな、と。
力道山が引退したら政治家になるという話があった。参議院だったか。
 そんな思いがあって結局私も政界に出て、その時初めて力道山北朝鮮出身
 だったということを知った。師匠に対する思いがあって、自分自身は北朝鮮
 関係がなっかたが'94年に北朝鮮に行って、もう22回目の訪問になった。
 師匠の思いでもあるし、1日でも早く日朝の関係が良くなればいいなと
 思っている。

意外に意外に、猪木さんは師匠のことをずっと思っていたんですね。
本当に意外。
猪木さんは想像していた以上にピュアな人なのかもと、ちょっと認識を改めて
しまいました。

最後の証言者は、力道山の奥様である田中敬子さん。
・21歳の時に知り合い、22歳で結婚。その年の12月に力道山が死去したため
 結婚生活は約半年。
・当時日本航空のスチュワーデスをしていたが、自分の写真が力道山に渡って
 いて、次のフライトを調べて(日本航空・広報課から力道山側に情報提供?)
 ロス行きの便に搭乗し、初めて知り合った。
・酒は私の方が強かった。
・(結婚式について)
 私はこじんまりにやって欲しかったんですけども、私が初めての結婚、
 もちろん主人も初めての、まぁ結婚ていう、籍を入れる人だから、、
・(朝鮮出身ということで悩みなんかも奥様には・・・、との問いに)
 婚約した後にたまたま2人でいろんなこと話していた時に、夜でしたけど
 ふと「俺、朝鮮半島の生まれなんだよ」と言われた時に、ああそうですか、
 それがどうしました?と。私もこんな調子ですから、別に何人だろうと
 私は百田光浩と結婚したんだから関係ありませんけど、どうしたの?
 と聞いたら、(彼は)ちょっと涙ぐんでいた。
・(対 木村政彦戦について)
 亡くなってだいぶ後に木村政彦さんにお会いした時に、私からは何も
 申し上げないのに「いや奥さん、あの時は本当に僕は故意にやった訳では
 ない。たまたま当たってしまったのをリキさんが怒られた、ということです」
 と言われたんですね。どうぞお気になさらないでください、ということで
 終わったんですけどね。
・(力道山が刺された事件が起こった時について)
 12月8日(※実際には明けて9日)夜中の1時近くになって付いてた人から
 電話があり、そうこうしているうちに力道山が脇腹を押さえて「痛い痛い」
 と言いながら帰ってきた。事情を聞いていると今度は刺した人達が、
 暴力団の組の親分さん達がどっと謝りに来られた。大変申し訳ないことを
 したと土下座して謝る姿を見た。
 その後、病院の先生がもう一度きちっと見たいということで病院に戻って
 手術を受けた。私も泊まりがけで看病していた。街の風説でビール飲ませた
 とかサイダー飲んだとか、水を欲しがってたから花瓶の水を飲んだとか、
 そんなことは一切無い。主人は大変神経質な方だし、きれい好きな方だし、
 いろんなことに神経尖らせる人ですから、お医者さんのいうことをちゃんと
 聞いていた。「こんなことで死んでたまるか」みたいな感じで。
 カーゼで口を湿らせてあげてたときも「いつになったらビール飲めるかな」
 みたいな冗談も言っていた。
 それが1週間目に急変し、医者から腹膜炎を起こしているようだが大丈夫、
 お疲れでしょうからお戻りくださいと言われ、その頃妊娠7ヶ月目だった
 ので一旦家に帰った。すると2、3時間しないうちに容態がおかしくなり
 病院に戻った時には、もう遅かった。


結婚式について聞かれた際、わずかに言いよどまれたのがちょっと引っかかった
ので調べてみたら、wikipediaにこんな記述がありました。

実息である義浩・光雄の二人は、無論その後本妻となる田中敬子との子供ではない(上記の通り、力道山と田中の婚姻は死の直前の10か月しかない)。この二人は、当時内縁の妻であった京都の芸妓との間に出来た子供だと言われている。力道山は生涯、田中敬子を含め4人の女性と婚姻関係にあったと言われ、朝鮮半島時代に一人、京都の芸妓(百田兄弟の母親)が二人目、日本橋の芸者(百田兄弟の育ての親)、田中敬子の順であった。なお彼の子供は5人おり3人は娘である。朝鮮半島時代に生まれた娘の夫である朴明哲(パクミョンチョル)は、2010年に北朝鮮の体育大臣になっている。百田兄弟の姉もおり、また力道山の死の直後には田中敬子が娘を出産している。その娘の息子は、慶應高校に進学して高校野球で活躍した田村圭である。
wikipedia

ふーん。奥様も内心複雑な思いがあったんでしょうか。