『犬神家の一族』(1976年版)を観た。

ダークナイト ライジング』に触発されて、マスクマンつながりで(?)
犬神家の一族』(1976年版)を観ました。
・・・少々こじつけですが。

最初に印象的だったのが、タイトルとそれに続いてメインテーマをバックに
映し出される黒地に白文字のテロップ。
デカい明朝体が規則的に不規則に並んで、ときに横書き、ときに縦書き、
果てはL型に、つい次に来る文字配置のデザインを期待して惹きつけられる
斬新なタイポグラフィに、驚きました。
のちに『エヴァンゲリオン』、『古畑任三郎』にも影響を及ぼしたという
この文字のデザインは、一種研究本ともいうべき「市川崑タイポグラフィ
犬神家の一族』の明朝体研究」(小谷充・著)なる本があるほど。
あのタイトル、テロップは市川崑監督が自ら書体まで考えていたそうで、
画家を志し、アニメーターの経験もあるという市川監督ならではの
こだわりなのでしょう。

余談ですが、印刷屋であった我が父にパワーポイントで作成したプレゼン
資料を見せたことがありましたが、「全部が“見出し”で見づらい」と
けちょんけちょんにダメ出しされました。
タイトルや見出しはゴシック体、本文は明朝体、という印刷業界の基本
からすると、見やすいからという理由で全文ゴシック体を用いていた
おいらのプレゼン資料は、なってない、という風に映ったんでしょう。
ゴシック体は力強く明るい反面、使いすぎると一本調子になりやすい。
(画面全体が黒っぽくなってしまう)
明朝体はゴシック体ほどの力強さはなく、繊細さや一種の哀愁がある。

犬神家の一族』では明朝体をデカデカと使うことで、この作品に流れる
おどろおどろしさを上手く表現しているのではないでしょうか。

音楽もよし。
今作に引き続きの角川映画2作目となった『人間の証明』といい、
大野雄二さんの音楽は、これらの作品の世界観を巧みに表現していて、
素晴らしい。

佐清(すけきよ)、この薄情の人たちに仮面をめくっておやり!」
で有名なシーンもやっと見ることができました。
マスクマンにはついドキドキしてしまうのですが(?)、このマスクを
ペリペリとめくる感じ、どこかで・・・と思っていたら、そうだ!
土曜ワイド劇場でやってた、明智小五郎が変装マスクを取るシーン!!
べっとり貼りついてるのをめくると、中から端正なマスクの天地茂さんが
出てくる、アレですよ。
って、アラフォー以上の世代じゃないとわかりませんね。失礼。
いやぁ、幼き頃のトラウマ、もとい、刷り込みってのは実に強力です。

今回見ていて改めて思ったのが、地井武男さんの声。いい声ですね。
すぐに出番がなくなっちゃいましたけど。菊人形の上に鎮座まします
地井さんの顔は、地井さんに見えませんでしたけどね。
声と言えば、石坂浩二さんも聞き取りやすい声でよかったなぁ。

ミスディレクションさせようと事あるごとに猿蔵をちらつかせるのが
ちとあざとい演出に思えてしまいましたが、その他にもちょっと納得
いかない部分がいくつか。
小夜子からプレッシャーをかけられた野々宮珠世が部屋に戻った際、
兵隊さん姿の男がいて、珠世を押しのけて逃走しました。
・・・このシーン、要る?
その直後、佐清(とおぼしき人物)が殴られたとかで気を失い倒れて
・・・このシーンも、要る?
佐智が亡くなった夜、中座のあと琴の練習をする松子の右手人差し指は
傷ひとつなく綺麗な状態でしたけど・・・?
んでまた、あんな見事な瓦屋根にトップライトを作るかねぇ?
青沼静馬が告白するシーン、佐清が存在することを知っているのに
「あんたの大事な佐清さんは、とっくにどっかに消えちまったよ」
と松子にどうして言えたのか? 佐清を殺したのならわかるんだけど。

原作では佐清が頭から湖に突き刺さった、例の格好になることで
“ヨキケス”になって、これで犬神家の家宝である「斧(よき)、
琴(こと)、菊(きく)」が完成で云々という推理になってるんだ
そうですけど、犠牲になったのは佐清じゃないし、逆さまに湖に
投げ落としたのは当の本人だし、家宝の祟りにこじつけてたのは
静馬であって佐清が思いついて実行したとはとても考えにくいし、
この推理部分のカットは正解では。

坂口良子さんがいい味出してましたねぇ。
「生卵」と「食べなさい食べなさい」のくだり、面白かった♪

偶然と呼ぶには都合がよすぎる感もありましたけど、見応えのある
良い作品でした。